ムルデル弁明書

 アントニー・トーマス・ルベルタス・ローウェンホルスト・ムルデル(1848-1901)が1881(明治)年に測量/児島湾開墾復命書を作成し、これに基づいて工事を実施したのが藤田伝三郎の藤田組です. 1889(明治22)年に当時の千阪知事から1区から8区についての工事許可が出されましたが、すぐに沿岸住民1000人以上が連名で工事の取消を訴えます.このときに県庁より請われてムルドルが英文で回答し内務省役人丹野茂樹に訳されたものが「弁明書」です.以下、要約します.※( )内は、森の補足

 

 まず、私は1890年に至るまで工事施工云々についてまったく聞いていない.今回1000人以上の署名で工事反対の嘆願書が出されたことについては驚いている.反対者には児島湾、海路(現在残る児島湾部分と思われる)の西から北側の住民および旭川、吉井川沿岸の住民が含まれるが現地調査を行っていたときには住民の不満をまったく聞いた事がなく、直接会った老人は、むしろ開墾を「県下の無産の氏族を救う事ができる」と、歓迎している様子だったので驚いている.嘆願書に連名する人たちは、開墾技術以外のことで反対しているように思われる.

 旭川河口の東側、三蟠港の東側に、瀬戸内海に繋がる水路(現在残る児島湾と思われる)を横切る堤防を築いて7000haの児島湾全体を開墾することでどのような影響があるかは、現在のところは精確にはわからない.これについての反対は、住民に対して(不明範囲と理由について)の説明不足によるものだろう.湾内を開墾すれば、瀬戸内海への水路はいずれ消失する.従って、悪水と航路の問題は当然出て来る.例えば彦崎川(現在の倉敷川上流に河口があった川)と米倉川(現在の笹ヶ瀬川上流、宇野線の鉄橋付近に河口があった川)の洪水対策は、現在よりも一層困難になる.これは、旭川、吉井川についても同じ事である.児島湾開墾による流入河川の洪水問題は河川改修だけでは対策し切れるものではない.高島と鳩島の北側にある堤防に設置されている、百間川の水門は、開墾工事によって、例えば暴風雨の際には影響が考えられる.

 一方、(京橋を経由する)岡山市街地と瀬戸内海を結ぶ航路は、(開墾しない)現状でなんら問題なく十分機能している.ところで、第一着(1区、2区)開墾面積は、報告したものよりも実際にははるかに小さくなる.工事施工者の利益はそれほど大きくない.

 住民らの開墾反対理由は、概ね工事の必要を理解できず、むしろ開墾は有害であり、費用がいずれ地方税としてはねかえってくるということにある.このことについて以下に説明していく.

 1.私(ムルドル)の調査不足について

児島湾開墾による影響についての調査不足が指摘されているが、ここに弱冠の誤解がある.「児島湾開墾復命書」における報告はあくまでも開墾を前提にした調査を行った報告である.つまり、「湾内を開墾したいのであれば、最良の方法」を報告したのであって、その結果、不測の影響があり得ることは申し上げてある.

 2.放置した場合の児島湾の堆積について

児島湾は現在(1890年)も堆積を続けており、中でも旭川と吉井川の流下作用による影響が最も激しい.特に洪水時に同時に起きる東風の影響は大きく、水底は自然に上がっている.それに反比例して潮流は減少していく.

 3.児島湾堆積についての対策の必要

堆積の進捗が速度を上げている理由は、専ら河川沿岸および上流の山をみだりに開墾して裸山にしたことに寄っている.まず、これを止めなければ河口児島湾の堆積を食い止めることはできない.また、潮流を増加できる潮溜まり地形を作ることによって、児島湾が埋没する害を防ぐことはできる.

 4.対策せずに放置した場合の予測

 沿岸、上流の無秩序な侵害と河口の現状を放置すれば、児島湾は堆積した砂泥で湾がなくなり、瀬戸内海とつなぐ水路(現在残る児島湾)は旭川と同程度に浅くなり、吉井川はそれとは分離した流れになる.何年も先のことであっても、いずれは人々が疎水、洪水で困難に陥ることになる.

 5.具体策案(1811年作成、児島湾開墾復命書要点)

 (沿岸、上流の無秩序な伐採等をやめて管理した上でも)自然の堆積を抑えることは困難だが、児島湾の一部を開墾した上で、なお堆積進度の抑制と潮流の増加のための工法を以下に提案する.なお、これは1811年に報告済みのものの要約である.

【A.湾中の平均半潮水面(平均水面)に低堰堤(拘泥堤)を設け、湾内に中流する彦崎川(現倉敷川)と米倉川(現笹ヶ瀬川)の低水水流を保持する】

○変動し易い砂州の流路を安定させて、半潮水面以下の川の潮流(干潮時の下流方向への流れ)を維持することは、河川そのものや洪水の疎流にも影響が最も少なく川底を整理する.

○平均半潮水面(平均水面)以下3尺(0.9m)の深さになるまで、浚渫する.これには河口に向かって漸次深く、広い水路にしなければいけない.具体的な幅員と方法については縦横断面図を作成する必要があり、今ここで詳細は述べる事はできない.

【B.吉井川河口を改善すること】

旭川よりも、児島湾からは距離がある川だが、児島湾開墾工事によって河口の堆積進度は早まるはずで浚渫が必要.さらに、上流(の乱伐)の改良がされるまでは、定期的に浚渫をする必要がある.

【C.旭川、吉井川両河川の沿岸、山腹(の乱伐を)改善すること】

児島湾開墾および河川沿岸の改修するに従い埋没の進度は漸次減少するはずである.湾底が開墾できる状況になっても洪水時に堆積物が増えることがあるかもしれないが、潮流を受け入れる容量はある.従って、湾内の潮流は悪水、疎通、航行等の所要に十分な水深を維持してくれるはずだ.

【D.低堰堤(拘泥堤)の説明】

中略

 

開墾反対者が心配しているように、低堰堤が彦崎川(現倉敷川)、米倉川(現笹ヶ瀬川)の流れをせき止めることはあり得ず、川底を掃討するに十分な流勢を維持する.現在、湾内に設置した低堰堤は位置が低過ぎて堆積を促進してしまっている.これは、失敗している.

                                      以上抜粋して要約

 

参考:井上敬太 (1967)『児島湾干拓収拾録』  同和鉱業株式会社

 

農林水産省ホームページ2016年4月18日公開

http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/okayama_02/ より