冬の妹尾駅前通り(通称 ドテスジ)で行われていたカキウチ作業 昭和30年頃



写真の前で語る人々の話から 

妹尾のカキウチに使っていた道具は、今、日生(ヒナセ 岡山県)の方で使われているものとちがっていました.寒い季節の作業なので、日が当るところを選んで作業していたようです.剥いた牡蠣は生のまま売っていました.大阪の方に帰る人のお土産に、藁で編んだツトに牡蠣を入れて持たせていました.300gから500gは入ったでしょう.ツトはおばあさんが編んでいました.女の仕事でした.岡山を朝出れば夕方には大阪に着くので、藁のツトでも牡蠣の鮮度は大丈夫でした.酢ガキにしたり、雑煮にしたりして食べました.雑煮には、人参、ごぼう、ほうれん草なんかをいっしょに入れてしょう油味で食べます.児島湾の牡蠣は黄色みがかっていて味が濃く美味しいものでした.洟垂れ牡蠣なんて言われ方もしていましたが.毎年3月になると、牡蠣の季節は終わるので、食べることはできません.

貝を捕るのは、妹尾辺りでは男の仕事です.大潮の潮がうんとひいたときだけ捕りに行きました.捕った貝は足守の方まで自転車で売りに行きます.ハンドルや荷台を鉄で溶接して頑丈にした自転車です.今も一台だけ、そんな自転車が置いてあるところがあります.貝が売れると、お金はその日のうちに飲んだり買ったりして使っていました.

おじいさんが捕りに行っていましたが、冬の夜の漁だから、子どもの私は連れて行ってもらえませんでした.チンデー(アゲマキ)は夏休みによく捕りに連れて行ってもらいました.笹ヶ瀬川から舟で干潟に出て行くのです.干潟では、人が掘った穴にドボンドボンとよく落ちて、そのたびにひっぱりあげてもらいました.

 カキウチで牡蠣の殻がたくさん出たので、セイキ篭1杯10円で買い取って、それを乾燥させて鶏の飼料として売っていました.乾燥させる大きなドラム缶のような機械を大阪の職人に作ってもらって商売していました.農協のようなところに納めていたんです.

                                                                               文/森千恵